私たちのこどもが生まれて2年5ヶ月。
親になって2年5ヶ月が経つんです。(まだたった2年5ヵ月なんですが)
彼が成人するまでのあと17年と7ヶ月。
親としての責任を果たしたいと思っています。
結婚するときに思ったのは「家族をつくりたい」ということでした。
家族という小さな社会を運営してみたかったのです。
ところが、実際こどもが一人現れてみたら、それはもう大変。
ありがたく授かった命に感謝はしつつも、それまでの“赤ちゃん=天使ちゃん”というイメージは一転。
夜中でも泣くし、何でもよごすし、うんざりすることがいっぱい。
運営するどころではなく翻弄される日々の始まりです。
ところが、「あぁもうこの先どうなってしまうのかしら~」と、ため息まじりの日々を過ごす私の思いを他所に、彼のほうは確実に成長。
私が虫に刺されて足先が赤くはれ上がった時には、「ママ だいじょうぶ?いたいの?」と、顔をのぞき込んで心配したり、教えていないはずの歌を始めから終りまで歌って驚かせたり(保育園で先生に習った「海」という歌でした)、ふとんの上でいきなり連続でんぐり返しを何度もして、首が折れるんじゃないかと心配させたりします。
やっとお座りが出来て嬉しそうにニコニコしていたのも、ペタペタ音を立てて進んだハイハイも、尻もちをつきながらヨタヨタと歩き始めたのも、ついこの前なのに、今ではふざけたり走ったり冗談を言ったり。
植えたばかりの朝顔の種が、一夜にして柔らかなきみどり色の芽を出して、迷いなく真っ直ぐ立つ姿が彼とよく似ていて、小さい身体からはパワーがみなぎっています。
「かわいいかわいいだけで済む時期とはもう少しでサヨナラ!!」と自分に言い聞かせて覚悟はするものの、今は、まさにかわいい時期。
保育園に送っていっての別れ際「ママにチュウは?」、帰宅後「今日はまだ一回もチュウしてないんじゃないの?」と、半ば強要の毎日。(時々もう嫌がられますけど)
---小さくてやわらかくってずっとずっと触れていたい、かわいいかわいいタイセイちゃん---
「時間が止まればいいのに」と思うこともありますが、そこはやっぱり親ですから、放任主義と言う名の無責任な親にならぬよう、我が子を思うばかりのモンスターにならぬよう努めなければと、自分を戒める日々です。
「“立派な親なんて要らない、ただそこにいてくれたらそれでいい”なんて子どもが言ってくれたらいいのに・・・」と都合の良いことをふと時々思いますが、大人になったつもりの私たちに、今でもあれこれと心配をしたり世話をやく互いの両親を見ると、「親ってずっとこんなふうなのかな・・・」と嬉しくも気はずかしく、頭がさがります。
「子ども」にとって「親」はいちばん身近な存在で、初めて出会う社会。
たいせつなたいせつな命への責任として、父であり母である両親の存在が、わが子にとって信用できる人間、安心できる人でいたいと思います。
他人同士が家族となり、子どもを通して親に。
不思議なつながりが続いていきます。
任務は相当重大だけど、すてきな毎日を肌で感じています。
左から 陽子/広昭/泰生