遊太と私はよく一緒に旅をした。
4、5年前の春、それまでにもたびたび訪れていたベトナムはホー・チ・ミン市の下町で、発生した親バカ症状です。
恥ずかしながら。
私たちは、おたがいの時間やフトコロ具合などがうまくかみあうと、遊太はギターを、私は絵葉書を持参の親子旅に出かけた。
とは言っても、共に旅先の名所や旧跡、名物料理などに引かれる習性は持っておらず、どちらかといえば東京は阿佐ヶ谷での日常生活が平行移動したのに近い時間の過ごし方をするのが、いつしか私たちの旅のかたちになっていた。
焼きスルメや香菜や、さまざまな線香の放つあまったるい匂いが混居する、迷路のように入り組んだ路地の、なじみになった小さなホテル(清潔格安!)に各々部屋をとり、昼夜の食事を共にするほかは、個々自らの意におもむく旅のはじまりとなるのだが、そんなある日のこと。
私たちは、ホテルからほど近い路地裏の食堂(ホー・チ・ミン版お袋の味。美味格安!)で昼食をすませたあと、それぞれの行き先へと別れた。行き先といっても、私の場合、行き当たりばったり、浮かんでは消えていく妄想を友にブラブラ歩いているのだが、そういえば遊太も似たような行き先だと言っていた記憶がある。
照りつける灼光を避けながらひとしきり歩きまわり、涼を欲してお茶でもと、メインストリートの交差点近くのカフェ(不味馬鹿高!!)でぼんやり一服していると、とおく、バイクや車の行き交う通りのむこう、対面の歩道を行くオトコのうしろ姿が目に入った。
??見おぼえのある、と思ったら先刻別れたばかりの遊太だった。背中がゆっくり揺れていた。いつもよりなんだか大きく、別人にも見えた。時間にすれば5~6秒の出来事だったのかもしれない。
行き先に向かう遊太はそのまま往来する人々のなかにまぎれて見えなくなった。
私はしばらく奇妙な感覚にとらえられていた。はじめて見る遊太のすがたがそこにあったようにも見えた。何かがみなぎってくる気分でもあった。
そしてすこし誇らしかった。
そのムカシ、私の体内で発生した遊太の素が次なる進化を目指して突き抜けて行く雄姿が勝手にアタマのなかをかけめぐっていた。
福田勝
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