ある日、母が友人と会食することになり、「それでは俺も」と父も友人
との約束を同日に設定。
2人を待ち合わせの場所へと送って行った。
その場所とは、銀座で最も有名な待ち合わせポイント「三越のライオン
像の前」。
出迎えてくれた友人たちに「久しぶりね!」と笑顔でとけ込んで行く母
は、一人のかわいい女性に変身して行く。
「楽しんでね。行ってらっしゃい」と見送る私がまるで母親だった。
父はというと「俺も同じ場所で待ち合わせだから」と、ライオン像の隣
で友人を待った。
しかし30分たっても姿が見えない。
ケータイ番号も教えあっていないらしく連絡はつかない。
呆れる自分を押さえつつ、笑顔で2時間ほど待った。
だが友人は現れない。
会社に戻って仕事をするつもりだったが、結局私は父と食事に行くことになった。
なんだか妙な気分。
実は私、高校生まで父親が嫌いだった。
自分の身体の変化にとまどう思春期の頃、父親の視線や言葉が全て気に
くわなかったのだ。
「見るな」「寄るな」「話しかけるな」。
きっとそんなオーラを出していたと思う。
今となれば成長してきた娘をうれしく思っていただけだと理解できるのだが、
気持ちが敏感で「自分で精一杯」なあの時期、そんなことは知るよしもない。
父が食事をしながらふと言った。
「お前と2人でご飯食べるの初めてだな。友達と会えなくてもよかった」
てっきり私に気をつかっているのだろうと解釈し、ビールをつぎながら
「そうね」と軽く流して話題を変える。
(なんだかなあ。やっぱり妙な気分)
帰宅すると父の友人と連絡が取れ、今夜会えなかった真相が明らかに
なった。
私たちがいた場所は「銀座三越の”ライオン像”の前」
父の友人がいたのは「銀座のビアホール”ライオン”」
道路の向かい側じゃないか!
ひゃあ、こんなに近くにいたのに2時間もお互い突っ立っていただけとは。
おそるべし「ライオン」。
しかし父は、ほろ酔い気分で帰ってきた母にもしきりに言っていた。
「あいつ(友人)と会えなくてもよかった。みきとご飯食べられたから」
(また言ってる。そんなに気を使わなくてもいいのに)
私は、その言葉を理解しないまま、その会話をまた流してしまった。
その後、私はブルースさんの写真をきっかけに「大人の親子」の様々な
ストーリーを知る。
その中でも、この「親ばか子ばか」のトップバッター「親子の日に乾杯!」
を読んでいて突然気づいた。
あの時の父の気持ちを。
食事の際の父の言葉は本音だったのだ。
曲がっていたのは私の心。
だってまさかでしょ。
いつまでたっても嫁には行かない、実家にも戻らない、好き勝手に生き
ているこんな娘がまだかわいい?
そんな気持ちはとっくになくなっているだろうと思っていたのに、
父は、あの時間を本当に喜んでいてくれていた上にきちんと言葉で伝えて
いてくれた。
まいった。
大人になったつもりでいたのに...
親の心子知らず?これって一生続くの? ばかな娘で本当にすみません。
私はまだ親子の写真を撮ってもらったことはない。
そろそろどんなポーズで撮るか両親に相談してみようかな。
って、これ親孝行になるかなあ?
かじわらみき
〔母が撮影〕
写真を探していたら、こんな写真が出てきた。
撮影時の記憶がない...う、うで組んでる!
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