2008年4月27日(日)の午後、中央区第九の会歌舞伎座公演が開催されました。
歌舞伎座で第九?なんでまた?どうして?と皆さんお思いのことでしょう。
それは、日本の暮れの風物詩「ベートーヴェンの第九」の演奏が今を遡ること70年前の昭和13年に歌舞伎座で公演されたのが始まりだったことによるのです。
一昨年12月に「中央区第九の会」が発足し、70年後の歌舞伎座公演復活を目指し練習を重ねて来たのでした。
その合唱団のメンバーに、我が夫と息子が参加しました。
「中央区第九の会」発足にも係わった夫は、学生時代からのバスで練習開始。
当初から、ソプラノ・アルトは華やかな顔ぶれでしたが、テノール・バスは少々寂しい状況でした。そこで夫が、藤井先生ご指導の京華小学校合唱団で歌うことが大好きだった息子に「一緒に歌わないか?」と声をかけたのです。
始めの頃、小学校卒業以来合唱から遠ざかっていた息子の練習日の足取りは、決して軽やかではありませんでした。その内、夫が仕事で練習を休んだり息子が仕事で練習を休んだり、二人とも休んだりしながら本番の年を迎えた頃には、いつの間にか親子仲良く足取りも軽く練習に励んでいました。
その大きな原動力となったのは、良き指導者に巡り逢えたことと大人になった親子が共通の夢を持てたことにあるのでしょう。全体練習で、夫は息子の息子は夫の確かな歌声を互いに聴きとめていました。また、夫が、特に息子が練習を休んだ次の回に「高松君、前回休んだでしょう?」とご指導の先生に言われたことも、大人になって褒められること・認められることの絶えて久しかった息子には何とも嬉しい日々でした。
ところが、そんな一世一代の晴れ舞台の団員限定前売り日を二人はすっかり忘れていました。最後の前売り日は家族全員が仕事で予約できず、7人分の席は当日並ぶしかないと諦めていたところ救世主が出現。
息子 の唯一無二の親友がインターネットで3階席を確保してくれたのです。
さてその当日。
幕内弁当・お茶を携え、3階席へ一目散。
上手サイドか ら覗く舞台は、オーケストラ席と合唱団の5段目しか見えません。
仰け反るようにして初めて6段目が見え悪い予感が過ります。
案の定、4段目のテノールの息子は第3楽章まではその立派な胸囲が見えていました
が起立した途端舞台から消え、5段目の夫に至ってはハナから舞台に見えないのです。
3階席で我が家と親友の家族で笑いながら、70年振りの歌舞伎座の第九復活公演で歌う親子の姿を心眼に焼き付け、全身を耳にしてその歌声を聴きとったのでした。