76歳、今でも現役でティンパニーを叩いている親父。
腕が動く以上たたきつづけるだろう。
父から出てくる音はとても丸くやさしい。
子供のころから、我ら男3人兄弟は、家でドンチャン騒ぎの毎日。父は、そんな3人をよくコンサートに連れて行ってくれた。
今思うと静かに音を聴くことを、試されてたようにも思う。
おかげで聞く耳はそこで備わったのかもしれない。
とにかく父のプレーはかっこ良かった。ゾクゾクした。
聞いた事のない曲でもその姿を見ていると曲の印象が自然と残った。
物を拾う習慣は無論父譲りで、家電に関してはほとんどが業務用の中古であったり不用になったものを、ただでいただいて来るといった家庭だった。
物を作る事も父の影響。
その家電や楽器に関しても修理は父が手がけていた。
家に「穴」という作業場があり、そこにはドリル、電動ノコギリ、万力・・・あらゆる道具もそろっており何を作るにも不自由がなかった。
友人が「お前のうちには変ったものがたくさんあるなぁ。日本じゃないみたいだ」と言っていた。
そう言われてみればそうかもしれない。大使館で使用していた食器、食器棚、どこかのホテル使用していた鍋、釜。
自分のライフスタイルに合ったものを不用品の中から見つけていくのもセンス。
お金をかけなくても、不用品でも、アイデアしだいで便利なものになるもの。
私の場合はそれが楽器だったりしているが・・・
再生、再び命を吹き込み生まれ変わらせる。
私の今の生活そのものである。
学校生活の中での工作時間ではとにかく人と同じものは絶対に作りたくないと常々思っていた。
写生、粘土工作、船の作成、文鎮、脚立。
プラモデル少年だったので作る事が大好きだった。
決められた部品からの作成からはじまり、不用品を使用した作品に燃え、結果今の楽器に落ち着いている。
食生活でも、お酒、ビール、ワインを作ったり、興味のあるものや美味しいものに対しての執着はすごいと思う。
料理というモノは人の5感を満たすモノ、音楽は5感以上のものを刺激する、人が人に対して奏でるもの。
いろんな感覚の人がいるので自分がどれだけたくさん感じる事が出来るか、食べる事、見る事、いろいろな興味を持ち、感覚を研ぎ澄ませる事を数多く父から学んだように思います。
山口とも